いいえ、別に

幸せについて本気出して考えてみた。

なんてポルノグラフィティの曲みたいですが、ちょっと仕事のコンセプトとして考えなければならなくて午前中に少し考えました。

幸せに必要な要素

①人

 やはり一人では面白くない(幸せじゃない)

 問題はどこまでの人を必要(大切)とするのか?例えば若者の中では親の反対もすべて無視して「僕と彼女だけ幸せならいい」という人がいたとしよう。しかし不運にも片方が死んでしまった場合「もうあの人がいないと生きていけない」という流れになってしまう。それではたった一人大事にしたかった人ですら幸せにできない結論になる(だいたいこういう人たちは結局視野が狭く自分本位なので相手よりも自分が中心で自分の死んだ後の世界なんて考えないのかもしれませんが)

 じゃあ家族・友人・・・と結論、みんな幸せじゃなきゃ幸せじゃないということになったとしよう。しかしここで問題が生じる。幸せとするものが人によって違うのだ。ということは幸せの概念が共通の価値でなければならなくなる。幸せに対する価値観の統一とまではいかないが、ある程度みんな幸せと思うことを理解しなければならない。幼稚に言えば「こんなことしたら人は嫌がるんだよ~」ということの一致だ。これを育てるのは学校だけでなくメディアやミュージシャンだったりするのかもしれない。でもやっぱり不満は現れるものでパンクロックが生まれたりする流れ。しかーし、もはや理想と現実がどんどん離れていくが仮に幸せの共通認識みたいなものが出来上がったとしよう。そしたら次に問題となるのが欲望に負ける人間(分かっていてもできない)などによって許されない行為が起こってしまう可能性だ。人はミスをするから。そこで許しあいながらいけるのが理想かもしれないがある程度形は必要だし、甘えや恨みが出てしまう。やはりダメなものはダメだという場所も必要だ。つまり幸せのためにルールが必要なのだ。

②ルール

 わかりやすいのが法律やお金だ。お金の存在によって人はある程度価値が数値化され考えやすくなる。法律があれば悪事は裁かれ、一定の生活の安全を与える。

 

はて?考えていくうちに幸せというより平和を考えている気がしてきた…

 

まぁいろいろ考えても意外とすっきりもしなければ小学生でも分かるようなことしか出てこない。でもやっぱり振り出しに戻れば、最低ラインは守りたいと思える人を守れたり、楽しい時間を共有する仲間がいることが幸せなんだと思う。そのためにはお金が必要だったり、事態を改善させたり、より良い方向に進んで行ったりするための正しい選択ができる知識も必要だったりする。そして何よりも相手を思いやる気持ち。自分が笑うため(ウケ)じゃなく、共有できる喜びが増えることが幸せだと思う。それをキープするためにストレスを発散することも大事だろうし、その時々の一瞬の苦しみに負けずゴールを見据え、最終的に喜べる選択をとれる計画性も必要であろう。あとは人間性ね。人ひとりの力というのは本当に馬鹿にできない。いなくなってしまえば不幸のどん底にいるような悲しみに暮れさせてしまうし、そういう苦しいときに前を向くために力となるのも人だったりする。人生は限られているので一緒にいて時間の無駄だと思われない人間になりたい。一緒にいたいと思ってくれている人と一緒にいれることが一番の幸せなのでは?それなのに待っている人がいるにも関わらずクレーム処理とかでいたくもない人に無駄に時間を割かれるのは本当に苦痛である。ということは無駄な時間が少ないというのも幸せか。無駄な時間とは何か…それはお互い望まない時間ですね。よし、クレームはやめよう!もともと言わないけど(笑)

 

高校の時に目標として生きていた目標

「強くやさしく」

改めて目標に生きていこう。